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ゴヤ(1746~1828)は、精力絶倫で20人の子どもを持ちましたが、殆どは幼くして死亡し、長命したのはただ一人です。

これらの子供の死因は、梅毒によるものと言われています。

精力絶倫で女性遍歴が多かったことからか、ゴヤは梅毒に感染し、梅毒治療に用いた水銀の副作用で、47歳の時には聴力を完全に失っています。

しかし、ゴヤは聴覚を失ってからも気力は最期まで衰えることはなく、『カルロス4世の家族』、『着衣のマハ』、『裸のマハ』、『マドリード、1808年5月3日』、『巨人』の傑作を描いています。

『裸のマハ』は、ゴヤの代表作ですが、このモデルのアルバ公夫人とも関係があったとされています。

切手は1930年スペイン発行の「セリビア展示会ゴヤ展切手」で、裸のマハが描かれています。



裸のマヤ..1930.スペイン

切手は1930年スペイン発行の「セリビア展示会ゴヤ展切手」で、ゴヤの肖像が描かれています。



ゴヤ.スペイン.1930