華佗(110~208)は、中国の後漢末期の薬学・鍼灸に秀でた伝説的な名医です。

華佗の医術はとても高くて、伝染病、寄生虫病、産婦人科、小児科、呼吸器官病それに皮膚病などの多くの分野に及んでいました。

外科的手術を積極的に行い、大麻を含む「麻沸散」と呼ばれる麻酔薬を使い、開腹術や開頭術を積極的に行ったと伝えられています。

更に麻酔を最初に積極的に使用したのは華佗とされています。

魏の曹操(155~220)は、元来の頭痛持ちであり華佗に治療を求めます。

華佗は病根が脳中にあるため、薬の治療は効かないと診断し「まず麻肺湯を飲み、その後に斧をもって脳を切り開き、風涎を取り出して根を除きます」と治療法を告げました。

猜疑心の強い曹操は、華佗に対し「お前はわしを殺す気か」と激怒し、曹操は「脳を切り開く治療法など聞いた事がない、お前は関羽と懇意であることから治療を口実に関羽の仇討ちをしに来たか」とさらに怒り、華佗を投獄して拷問にかけた末に殺してしまいます。

一時の感情により華佗を殺してしまって曹操は、一生涯頭痛に悩まされることになります。

華佗は処刑の前に自分の著書である『此乃済世話人之書』を獄吏に手渡しますが、獄吏の妻が災いを恐れて書物を焼き捨ててしまったことから、華佗の医術は後世には伝わらず、特に外科学は中国においては近代まで全く発展することはありませんでした。

切手は1970年台湾発行の「第4回国医節記念切手」で、華佗の肖像が描かれています。


華佗.台湾1970


呂布に敗れた劉備が曹操に身をよせたある日、曹操は劉備を小亭に呼んで酒を飲みながら天下の英雄について話を始める。

天下の英雄は誰かとの問に名を挙げるが、曹操は「英雄は君と俺だ」と言うが、これに驚いた劉備は箸をおとす、その時雷鳴が響く、英雄と言われた驚きを雷のせいにして劉備は誤魔化し事なきを得ることになります。


そうそうと劉備.1988

切手は1988年中国発行の「三国志切手」で、雷鳴が轟く中の曹操(立っている人物)と劉備が描かれています。