関羽(?~219年)は、中国後漢末期の武将で、三国時代の蜀の創始者である劉備に仕えた武将で殆どの人が知っていると思います。

魏の曹仁が防禦する城を関羽が攻撃した際,馬上の関羽は,曹仁配下の兵500名が射た矢の一本が右肘に刺さり落馬します。

帰陣した後,矢を抜いて傷口を調べると矢尻に塗ってあった毒が既に骨まで達しており,青く腫れあがった右肘は動かすことができない状態でした。

この関羽の右肘の治療を華佗(110~208)が行います。

華佗は、鋭い刃物で関羽の右肘を骨まで切り開き,毒に侵され変色した骨を削り落し、骨を削りますが、関羽は顔色を変えることも痛がることもなく、酒を飲みながら馬良と碁をうちながら談笑していたそうです。

痛みを訴えること無く平然と碁を打つ関羽の豪傑ぶりがよく分かります。

華佗は、関羽の差し出した礼を一切受け取らず、「自分がここに来たのは将軍の仁義を慕ってのこと」と言い、塗り薬を関羽に渡して立ち去ります。

切手は2002年台湾発行の「三国志演義第二次切手」で、関羽を治療する華佗が描かれています。
また、切手左上には「刮骨療毒」 と記載されています。


関羽を治療する華佗


切手は2011年中国発行の「関羽切手」で、自慢の青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を持ち愛馬赤兎馬にまたがる勇壮な関羽の姿が描かれています。


中国関羽.2011