黄帝(こうてい)は、神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。

黄帝は五帝の中でも逸話が多く様々な伝説が残っています。

黄帝は紀元前2717年に生まれて紀元前2599年に亡くなったとされ、古の華夏部族連盟の首領で五帝の筆頭でもあり中国の人文の祖とも言われるように様々な発明を行ったと伝えられています。

黄帝は少典と附宝との間に生まれた子で、本姓は公孫と言いましたが八大性の一つである姫に改姓し姫軒轅(き・けんえん)と称しました。

軒轅の丘に住み軒轅氏と号し有熊に都を建設したので有熊氏とも称されました。

また、黄帝を帝鴻氏と称す人もいました。公孫軒轅という記述も見かけます。有熊は河南省にあったと言われており、父の少典がその領主でした。

少典はもともとは伏羲(ふっき)や女?(じょか)と言った三皇たちの直系の子孫です。

現存する中国最古の医学書『黄帝内経素問』、『黄帝内経霊枢』も、黄帝の著作とされており、
また、これは現代においても、東洋医学の基礎を成す古典として扱われている。

残念ながら黄帝を描いた切手は未だ発行されていませんので、黄帝陵を描いた切手を紹介いたします。

切手は1983年中国発行の「黄帝陵の記念切手」で、黄帝陵を描いた水彩画です。



こうていりょう