アンリ・デュナンは、赤十字運動の創設という偉大な功績とは裏腹に、その晩年は極度の貧困と孤独の中で送られました。

1. 栄光からの転落と貧困生活

赤十字運動の立ち上げに全力を注いだデュナンは、本業のビジネスを疎かにした結果、1867年に破産してしまいます。

ジュネーブからの追放: 破産の影響で、彼は創設に関わった赤十字国際委員会(ICRC)からも辞任せざるを得なくなり、事実上、故郷のジュネーブを去りました。

放浪と貧困: その後、彼は心身ともに衰弱し、ヨーロッパ各地を転々と放浪するどん底の貧困生活を送り着る服もボロボロになり、パンを少しずつかじって飢えをしのぐような有様だったと伝えられています。


2. ハイデンでの発見と隠遁生活

1887年、デュナンはスイス東北部の小さな村ハイデンにたどり着き、小さな下宿でひっそりと暮らしていました。

発見: 彼の存在は、その後に至るまでほとんど忘れられていましたが、1892年頃からはハイデンの病院に入院し、この地で残りの18年間を過ごしました。

再評価のきっかけ: 1895年、このハイデンでのデュナンの存在をジャーナリストが突き止め、彼の窮状と功績を報じた記事が世界に広がり、再評価の機運が高まりました。

3. ノーベル平和賞の受賞

再評価の動きの中で、デュナンの偉大な功績が再び注目されました。

受賞: 1901年、デュナンはフレデリック・パシー(フランスの平和運動家)と共に、第1回ノーベル平和賞を受賞する栄誉に浴しました。受賞理由は「国際赤十字の創設とジュネーブ条約制定に向けての貢献」でした。

質素な生活の継続: しかし、晩年のデュナンはその後もハイデンで質素な生活を貫き、受賞した賞金もほとんど手をつけませんでした。

4. 最期の時

デュナンは、1910年10月30日に82歳で静かにその生涯を閉じました。

遺言: 彼は遺言により、ほとんど手付かずだったノーベル平和賞受賞者の賞金を、スイスとノルウェーの赤十字社に寄付し、最後まで人道精神を貫きました。

赤十字を創設し、国際人道法の基礎を築いた偉人は、晩年、人々に忘れ去られながらも、自身の信念を貫き通したと言えます。

切手は1991年スウェーデン発行の「ノーベル平和賞受賞者記念切手」の中の一枚で、晩年のデュナンと赤十字の救護テントが描かれています。


デュナン.スウェーデン.1991


切手は1957年インド発行の「第19回国際赤十字開催記念記念切手」で、晩年のデュナンと会議のエンブレムが描かれています。



デュナン.インド.1957