1921年夏、カナダの外科医フレデリック・バンティング(1891~1941)と助手のチャールズ・ハーバート・ベスト(1899~1978)は犬の膵臓からインスリンの抽出に成功します。
バンティングとベストは膵臓抽出物を糖尿病の犬に投与しますが、この投与によって犬の血糖が200mg/dL から110mg/dL にまで低下しました。
この膵臓の抽出物には、何か血糖値を下げる物質があること判明し、この抽出物はアイレチン(後にインスリン)と名付けられました。
これが「トロントの奇跡」と呼ばれるインスリンの発見です。
一方スコットランド生まれの医学者ジョン・ジェームズ・リチャード・マクラウド(1876~1935)とカナダの生化学者化学者のジェームズ・コリップ(1892~1965)によって研究が進められ、犬の膵臓を用いた実験は非現実的であるとされ、すぐに牛の膵臓を用いるようになります。
1921~22年にかけて抽出物を得る方法が大きく改良され、抽出物はインスリンと名づけられます。
1923年バンティングとマクラウドはインスリンの発見でノーベル医学生理学賞を受賞することになりますが、インスリンの発見はバンティングによるものであり、バンティングはマクラウドとの共同受賞を心良しとせずにバンティングはベストと賞金を分け合います。
一方マクラウドもインスリンの精製に功績のあったコリップに賞金の半分を与えます。
1922年4月12日、バンティング、ベスト、コリップ、他は連名でトロント大学学長にインスリンの特許を取得したいとする文書を提出します。
これに至るまでにそれまでにトロント大学の多くの関係者がバンティングに対して、インスリンに関して特許を取得するように説得しますが、バンティングは『医学に関わる発見や発明は特許とするべきでないこと、ましてや医者は特許に係るべきではないと』強く主張し続けていた経緯があります。
この文書の根幹は、『この特許は他人に特許を先に取らせないようにする以外は目的にしない。抽出法の詳細が公表されれば、誰が抽出物を作ろうと自由であるが、利益を得るために独占権を取得することは許されない。』ということでした。
特許出願者はベストとコリップとしたのですが、これでは発明者偽証の嫌疑が出てくる可能性があると言う弁護士からの問題指摘があり、それまでバンティングが発明者になることを拒否していたのをあえて説得して、発明者にバンティングを含めるように修正します。
体内から抽出したインスリンを医薬とすることの特許法上の課題のクリアとして、インスリンにより劇的に回復し元気になった少女エリザベス・ヒューズの父親、すなわち最高裁判所長官チャールズ・E・ヒューズが登場します。
弁護士達は、彼に特許庁長官宛の手紙を書くように依頼し、この手紙にはインスリンの効果で娘は劇的に回復したこと、そのインスリンが特許出願されているという事実が記載されます。
その結果発明者修正など厄介な問題があったにもかかわらず、1923年1月23日に米国特許が短期間に認められたのです。
バンティング、ベスト、コリップの発明者3名はそれぞれトロント大学から特許権の報酬として1ドルが与えられることになりす。
なんと世紀の大発見の特許料が僅か1ドルだったのです。
反面トロント大学が多くの企業から得た特許料は膨大なものとなりますが、バンティング、ベスト、コリップの3人には全く不満はなかったようです。
これはインスリン発見の最大の貢献者のバンティングが特許取得に反対した程なのですから。
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