ミイラが薬になるという説は、中世ヨーロッパや江戸時代の日本など、様々な地域で信じられてきた興味深い歴史的背景を持つものです。
【なぜミイラが薬だと考えられたのか?】
1.瀝青(ビチュメン)の力: ミイラを作る際に使われる天然のアスファルトである瀝青が、万能の薬効成分だと信じられていました。
2.呪術的な要素: 死者の再生を願って作られたミイラには、呪術的な力が宿り、万病に効く薬として期待された側面もありました。
3.西洋医学の未発達: 当時のヨーロッパでは、病気の治療法が確立されておらず、人々は魔法のような特効薬を求めていたためです。
【ミイラが薬として使われた例】
1.止血剤: 江戸時代の蘭学者・大槻玄沢は、ミイラが止血剤として用いられていたことを著書に記しています。
2.万能薬: 貝原益軒は『大和本草』において、ミイラを万能薬として紹介しています。
【現代の視点から】
◯現代の科学では、ミイラに薬効があるという根拠は全くありません。むしろ、衛生上の問題から、ミイラを薬として使用することは非常に危険です。
実はこうして研究対象となるミイラは貴重なものでしたが、既に多くのミイラは略奪され、歴史の闇に消えてしまったからです。
墓泥棒、密輸業者、財宝ハンター、はたまた一部の学者までが数千年にわたってミイラを盗み続けた。
【なぜミイラはこれほど盗まれたのか。】
欧州では19世紀まで、一部は20世紀に入っても、ミイラが薬用として盛んに取引されていたからです。
ミイラは英語でマミーと言いますが、これは天然アスファルトのビチュメン(瀝青=れきせい)を指すペルシャ語の「ムンミヤ」が語源なのです。
ビチュメンは黒い色をしていて、古代には万能薬として用いられた経緯があります。
肌が黒いミイラが多いことから、かつてはビチュメンがミイラに塗布されたと考えられたらしいですがそれは誤解で、ミイラの肌が黒いのは、単に処理の過程で塗られた樹脂が変色したものなのです。
昔の人々は、ミイラに万能薬ビチュメンが塗られていると考え、ミイラに薬効があると信じました。科学的な分析が難しかった時代には、それがビチュメンではないと認識できなかったのです。
こうしてミイラの薬効は、結果的に長く信じられることになったのです。
ミイラは医薬品として高く売れました。
もちろん冷静に考えれば、ミイラは人間の遺体で薬として飲んでも、傷口にすり込んでも、それで病気が治るはずがない。
しかし欧州では長くその効能が信じられ、たとえばフランス国王フランソワ1世(1494~1547年)は、ミイラを砕いた粉を袋に入れ、常に救急薬として持ち歩いていたと伝えられています。
英国の科学者・哲学者のフランシス・ベーコン(1561~1626年)さえも、けがをした際には「ミイラに血を止める効果がある」と信じていた。


切手は2005年キセニアビサウ発行の「エジプト文明切手」の中の二枚で、ミイラ作りミイラの石棺が描かれています。


ミイラ作り.ギニアビサオ.2005
ミイラ石棺.ギニアビサウ.2005


切手は2008年キセニアビサウ発行の「エジプト文明小型シート」で、シート面にミイラ作りが描かれています。

ギニアビサオミイラ.2008.