フランクリン・デラノ・ルーズベルト(1882~1945)は、米国第32代大統領で、アメリカ史上唯一の重度の身体障害を持った大統領で、両足が不自由で、アメリカ政治史上で唯一4選された大統領です。

彼は以下のことで歴史に名を残す大統領として知られています。

1.1929年の世界恐慌という未曾有の経済危機に直面したアメリカを、ニューディール政策と呼ばれる一連の大規模な経済政策によって立て直す、

2.第二次世界大戦においては、連合国の一員としてドイツや日本と戦い、勝利に貢献しましヤルタ会談など、戦後の国際秩序を形作る上で重要な役割を果たしました。

3.小児麻痺というハンディキャップを抱えながらも、国民に希望を与える力強い演説と、卓越した政治手腕でアメリカ国民を一つにまとめ上げました。

1945年2月4日から11日にかけて、クリミア半島のヤルタで第32代米国大統領ルーズべルトは、英チャーチル首相、ソ連のスターリン書記長と歴史的なヤルタ会談を行いますが、そのわずか2ケ月後に彼は脳出血で急死します。

臨終時のルーズベルトの血圧は、300/190mmHgという重症高血圧でした。

1年前から最高血圧は200 mmHgを超えていましたが、当時は高血圧の薬は実験的な報告が出たばかりであり治療法はありませんでした。

ルーズベルトの命を奪ったのは、気づかないうちに進行していたサイレントキラー病(沈黙の病いという殺人者)だった高血圧だったのです。

サイレントキラー病(silent diseases)は、病気になっても初期には症状が表れれないことから当人は気が付かずにまま進行していき、気づいたときは後の祭り、最終的には致命的な合併症を引き起こしてしまう病気をさします。

本来は高血圧症を指していましたが、現在では糖尿病や脂質異常症をも含めた生活習慣病全般が含まれます。

※サイレントキラー(病)とは、「忍び寄る殺し屋」という意味です※

ルーズベルト大統領といえば、切手収集家としてもたいへん有名で小児麻痺を患い部屋にこもりがちだった彼は、小さい頃から切手を眺めて育ち、大統領になってからも毎日30分から1時間は自分の切手コレクションを眺め、整理をしていたそうです。

そのような大統領の姿は、アメリカ以外の国の切手にも描かれています。

その中でもモナコから発行された切手は、大統領の左手の指が6本あるエラー切手としてよく知られています。

切手は1995年ソ連発行の「第二次世界大戦勝利50周年の記念切手」の中の一枚で、世界地図を背景に、会談時に撮影された三国首脳(左から、英国のチャーチル首相、米国のルーズベルト大統領、ソ連のスターリン書記長)の写真が描かれています。


ヤルタ会談.ソ連.1995


切手は2015年マルタ発行の「ヤルタ会談70周年記念切手記念切手」の中の一枚で、会談時に撮影された三国首脳(左から、英国のチャーチル首相、米国のルーズベルト大統領、ソ連のスターリン書記長)の写真が描かれています。


ヤルタ会談.マルタ.2015


切手は2007年サントメ・プリンシペ発行の「アメリカ大統領シリーズ」の中の一枚で、ルーズベルト大統領と真珠湾攻撃の様子が描かれています。



ルーズベルト大統領.サントメ・プリンシペ.2007


切手は1947年モナコ発行の「国際切手展 ニューヨーク: アメリカ切手100年記念切手」の中の一枚で、自室で切手の整理をするルーズベルト大統領が描かれています。

この切手は、大統領の左手の指が6本あるエラー切手としてよく知られています。



ルーズベルト大統領.モナコ.1947


※左手の拡大図※

拡大


【おまけの話】

この切手の6本指に関しては、原画の段階で間違っていたのか、それとも彫刻を担当した別の職人が間違えたのかは今に至るも不明のままです。

上部の拡大図を見ていただければおわかりのようにこの切手に描かれたルーズベルトは切手を直接指で触っています。

収集家は切手を直接指で掴まず必ず専用のピンセットで扱うのは戦前から常識ですからこれ自体が大間違いです。

彼はアメリカ郵趣協会(American Philatelic Society:APS)の会員でもありこのような初歩的な間違った所作をするわけがありません。

切手を手づかみする図案は、他の切手にも描かれることはありますが、私自身もフィラテリストの端くれとして図案ミスと指摘させていただきます。

素手で切手をいじると手の脂や汗などで切手が汚れることから切って愛好家は絶対にしません。