モヘンジョダロは、パキスタンのシンド州にあるインダス文明最大級の都市遺跡で、紀元前3000年~紀元前2000年に栄えた都市です。
モヘンジョダロの都市遺跡は、碁盤の目に細分化された道路をはじめ、排水、貯水池、公衆浴場など水流部分に高度な技術が用いられています。
モヘンジョダロとは、現地の言葉で"死の丘"を意味しています。
遺跡の井戸端や路上に不自然な形で横たわる人骨が50体近く発見されたことから名付けられたもので、インダス文字が解読されていないので実際の都市名はまだ分かっていません。
紀元前2500年から紀元前1800年にかけ繁栄していましたが、突如として短期間で衰退したことから、その原因としてさまざまな説が取り沙汰されています。
しかもその人骨からは周辺地域と比較して50倍もの放射線が検出されたことから「核戦争勃発説」も存在します。
疫病の流行で衰退していきやがて滅んだという説もあります。
モヘンジョダロは大きな洪水、あるいは頻発する洪水などで疲弊したとの説も存在しています。
現時点では大規模な洪水がおきたため滅んだとされていますが、これが真実かどうかは未だ定かではありません。
切手は1963年パキスタン発行の「考古学シリーズ切手」の中の一枚で、モヘンジョダロの遺跡が描かれています。
切手は1976年パキスタン発行の「モエンジョダロ シリーズ切手(3)」の中の一枚で、モヘンダジョロの遺跡と踊り子像(左)、神官王像(右)が描かれています。
切手は2002年日本発行の「日本・パキスタン国交樹立50周年記念切手」で、モヘンジョダロの遺跡と神官王像が描かれています。
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