古代核戦争説とは、有史以前の地球に現代人の知らない超古代文明が栄えていたが、核戦争により滅亡したとする説で、荒唐無稽な話と笑われそうですが、雑学の一つとして時間つぶしにお付き合い下さい。

古代核戦争の根拠としては、以下の2つがあります。

1.昔から残された文献の解読による主張

古代の書籍や神話には「人類文明が核戦争で滅んだ」ということを匂わせるような記述が多く記載されています。

2.遺跡から発見された痕跡の調査結果による主張

いくつかの遺跡を調べると核爆発の兆候が見られる。

これらの一例を上げますと、

1.人類のゆりかご

南アフリカ共和国には、ユネスコの世界文化遺産に指定されている「人類のゆりかご」と呼ばれる直径50キロメートルほどのクレーター跡(フレデフォート・ドーム)がありますが、この地域ではアウストラロピテクスの骨など人類の誕生と進化の歴史を紐解く遺跡が数多く発見されています。

クレーターは隕石が落下した跡だというのが通説とされていますが不思議なことに、偶然にも20億年前と1億4500年前と同じ場所に二度も落下しているということです。

そして、20億年前に落下した隕石は直径10~12kmで速度約20km/sで地球に衝突し、衝突時のエネルギーは広島型原爆の58億倍、衝突時ににはマグネュード14の地震が発生したと推測され、地殻は地下25kmまでえぐられ、マントルが溶融し、大量の岩石が蒸発し急激に冷却したことを示す地質が確認されています。

衝突直後のドームの大きさは300km程度あったと推定されていますが、現在は長年の侵食により50km程度が残っているだけたです。

なお1億4500年前に落ちた隕石については諸説あり、更に規模が大きかったという説もりますが、いずれも地球上の生命生存に危機をもたらさなかったのでしょうか?

20億年前はミトコンドリアや真核生物くらいしか存在しなかったとされていますが、1億4500万年前~1億年前は恐竜が進化を遂げている時代で、不思議なことに地球上の生命の大量絶滅が起きた痕跡がないのとです。。

このことから、「人類のゆりかご」は隕石落下の跡地だという説も今後の研究で覆えされる可能性も否めないだろう。

一部では「古代核戦争の巨大核爆弾による跡ではないか」とも言われています。

切手は2000年南アフリカ発行の「世界遺産切手」の中の一枚で、アウストラロピテクス・アフリカヌスの化石と復元が描かれています。


アウストラロピテクス・アフリカヌス.南アフリカ.2000


2.ラピスラズリ

イラクの遺跡からたびたびラピスラズリ(瑠璃:るり)が発見されているますが、ラピスラズリはエジプトの「死者の書」、旧約聖書の「出エジプト記」にも記述があるほど、古くから人類の歴史に登場する青く美しい貴石なのです。

ラピスラズリはシュメール文明との関わりが深いことが知られています。

シュメール人は、紀元前3500年頃、どこからともなくこの地に現れ、高度な文明を築き上げ、特に天文学の知識に優れ、なぜか肉眼では見えない、天王星、海王星、冥王星の存在を知り、世界で初めて太陰暦を使っていて、更に医学の知識にも卓越し白内障の手術方法を知っていたとされています。

そんな高度な文明を築いたシュメール文明は、紀元前2000年ごろに突然消し、不可解なのは、シュメール人の存在そのものが1850年代まで知られていなかったことです。

異色の考古学研究家・作家のゼカリア・シッチンなどが唱える説によると、シュメール文明には地球外生命体が関わり、「核戦争で滅びた」と提唱しています。

切手は1998年タジキスタン発行の「鉱物切手」の中の一枚で、ラピスラズリが描かれています。


ラピスラズリ.タジキスタン.1998


3.スコットランドのガラスの城壁

イギリスのスコットランドには古代から中世のガラス化した城壁が80箇所以上も発見されています。

特に有名なのはライニー付近に所在するタップ・オノスという丘上に立つ砦で、城壁が熱によって変形し、溶解してガラス化しています。

「ガラスの城壁」が如何に創られたかは謎で、 現在でも大きな建造構造物をガラス化する有効な方法は存在しておらず、古代ガラスは一般的に珪砂やソーダ灰、石灰などを原料として摂氏1200度以上の熱で溶かすことによって作ることが出来ますが、要塞全体をガラス化するために必要な温度は、原爆の爆発に匹敵する高温とエネルギーが必要になるされています。

「敵勢力がその場所を占拠した後に、1050~1235度の高温にじっくりさらしてから、冷やして出来た」もしくは「太陽フレアによる陽プラズマ現象により作られた」というのが通説ですが、前者は時間もかかり至難の業で後者の方法は未だに証明されていません。

そのため一説に「核戦争の跡ではないか」とも云われています。

如何でしょうか?いずれも、考古学的な確固たる証拠はありませんが、「古代核戦争」があったのかもしれないと想像力を刺激する事例ばかりです。

切手は1999年ドミニカ国発行の「20世紀のミレニアム切手」の中の一枚で、1945年に米国がニューメキシコで人類初の核実験を行ったときのキノコ雲が描かれています。



核実験ニューメキシコ.ドミニカ.1999


切手は1999年マーシャル諸島発行の「ビキニ環礁での核実験50周年記念連刷切手」の中の一枚で、ビキニ諸島での初の核実験のキノコ雲が描かれています。



ビキニ諸島でのキノコ雲.マーシャル諸島.1999