ニコラエ・チャウシェスク(1918~1989)は、ルーマニアの共産政治家で、第二次世界大戦戦後、ルーマニア共産党が政権を握ると、チャウシェスクは党内の実力者として台頭、1965年に党書記長に就任し、翌1966年には国家評議会議長に就任し1974年には大統領に就任し、ルーマニアの最高権力者となった。
チャウシェスクは、独裁的な政治体制を敷き、国民生活を厳しく統制し、経済開発を重視して大規模なインフラ整備や工業化を推進したが、その一方で国民の自由や人権を抑圧した。
1989年、ルーマニアで民主化運動が勃発しチャウシェスクは、軍隊を使って鎮圧しようとしたが、失敗に終わり、同年12月25日に妻のエレナとともに処刑されます。
1989年12月25日午後2時50分、ニコラエ・チャウシェスクとエレナ・チャウシェスクの二人は銃殺刑に処せられ夫婦の処刑は判決が出てから10分以内に執行され、夫婦が銃殺される前後の映像もテレビ中継を通じて世界中に放映された
チャウシェスクの独裁体制は、ルーマニアの経済や社会に大きな打撃を与え彼の独裁的な統治は、ルーマニアの人権侵害の象徴として国際社会から批判された。
チャウシェスクの人物像については、さまざまな評価がありますが彼を「ルーマニアの独裁者」ととらえる見方がある一方で、「ルーマニアの近代化を成し遂げた指導者」ととらえる見方もあります。
しかし、チャウシェスクの統治が、ルーマニアの歴史に大きな影響を与えたことは間違いないことです。
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