カダフィ大佐(ムアンマル・アル=カッザーフィー 1942~2011)は、リビアの軍人・革命家・政治家で、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の元首で、1969年のリビア革命によって政権を獲得後、2011年に至るまで長期にわたり独裁政権を維持したが、2011年リビア内戦によって政権は崩壊、自身も反カッザーフィー派部隊によって殺害された。
カダフィは、リビア北部のサハラ砂漠の遊牧民ベドウィンの出身。1966年にリビア陸軍士官学校を卒業後、ベニナで軍事訓練を受け、1969年9月1日、サダム・フセインやヤーセル・アラファートらとともに、青年将校団を率いて無血クーデターを起こし、国王政を倒して最高指導者に就任した。
カダフィは、国家の権力を人民に還元することを掲げ、リビアを「ジャマーヒリーヤ」と呼ばれる直接民主制国家としましたが、実際にはカダフィー個人の独裁体制が敷かれ、強権的な統治が行われた。
また、大量破壊兵器の開発やテロ支援など、国際社会から非難されることも多かった。
また、大量破壊兵器の開発やテロ支援など、国際社会から非難されることも多かった。
2011年、アラブの春の影響を受けて、リビアでも反政府運動が活発化しカダフィは軍を動員して反政府勢力に弾圧を加えたが、2011年10月20日、反政府勢力によって殺害された。
カダフィの功罪については、様々な評価があり、リビアの石油資源を活用して国民生活の向上を図ったこと、アフリカの統合を推進したことなどが挙げられます。
一方、罪状としては、独裁体制による人権侵害、大量破壊兵器の開発、テロ支援などが挙げられます。
一方、罪状としては、独裁体制による人権侵害、大量破壊兵器の開発、テロ支援などが挙げられます。
カダフィの死後、リビアは暫定政府のもとで民主化に向けた動きが進められてきたが、現在も東西に分かれて対立が続いており、民主化は道半ばの状態にある。
1979年リビア発行の「グリーンブック切手」の中の一枚で、緑の書(グリーンブック)を持つ笑顔のカダフィ大佐が描かれています。
※緑の書(グリーンブック)とは、カダフィ大佐が1975年に著した政治・経済・社会思想の書籍で政治では、従来の民主主義が少数者の支配であると批判し、直接民主制による「人民の権威」を主張しています※
経済では、資本主義と社会主義の両方に問題があるとし、新たな経済システムである「社会主義」を提唱し、国際秩序では、共産主義や社会主義が世界を二分する構造をつくっていると批判し、新たな国際秩序である「世界第三理論」を提唱します。
これらの思想は、いずれも従来の政治・経済・国際秩序に批判的であり、新たな社会の構築を目指すものでした。しかし、カダフィ政権が独裁体制であったことから、緑の書の思想も独裁を正当化するものと批判されることもあり、その影響力は限定的なものでした。
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