ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(1878~1953)は、ソビエト連邦の政治家で、1924年から1953年にかけて同国の最高指導者を務めた人物です。
スターリンは、1903年にボリシェビキに入党し、ロシア革命に参加し、その後ソビエト政権の確立に貢献した。レーニンの死後、スターリンは党内の権力闘争を制してソ連の最高指導者にのし上がり、ソ連を独裁体制へと変貌させた。
スターリンは、ソ連の経済発展や軍事力強化に大きな成果を挙げた反面、農業集団化や大粛清などの恐怖政治を推し進め、数百万人にも及ぶ人々の命を奪った。
スターリンの死後、ソ連は彼の路線を修正しより民主的な体制へと移行しますが、スターリンの残した負の遺産はいまだにソ連・ロシアの歴史に暗い影を落としている。
スターリンの功績と罪状は、現在でも議論の的となっていて、彼を「ソ連の建設者」と評価する声がある一方で、「残虐な独裁者」と批判する声もあることも事実です。
スターリンの功績としては、次のようなものが挙げられる。
ソ連の経済発展
ソ連の軍事力強化
ソ連の工業化
ソ連の教育・医療の普及
スターリンの罪状としては、次のようなものが挙げられる。
農業集団化による飢饉
大粛清による大量虐殺
独裁体制の確立
スターリンは、20世紀の歴史に大きな影響を与えた人物で彼の功績と罪状は、現代社会においても重要な議論の対象となっています。
ペレストロイカ後の情報公開によれば、1930年代のスターリンによる大粛清では、250万人が逮捕され、そのうち68万余が処刑、16万余が獄死したことが確認できる。
後述するNKVDの1953年統計報告によれば、1921年から1938年までの間に処刑されたのは74万5220人にのぼる。
後述するNKVDの1953年統計報告によれば、1921年から1938年までの間に処刑されたのは74万5220人にのぼる。
1953年3月1日、モスクワ郊外の別荘で昏倒(こんとう)しているのが発見され、5日に死亡死因は「高血圧や動脈硬化による脳出血」と発表されたが、側近らによる毒殺との説も根強い。
切手は1954年ソ連発行の「ヨシフ・スターリンの一周忌切手」で、スターリンが描かれています。
切手は2012年チャド発行の「スターリングラードの戦い70周年記念小型シート」で、スターリンが描かれています。
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