ベニート・ムッソリーニ(1883~1945)は、ファシスト党の指導者として、イタリアの独裁体制を確立し1922年から1943年までイタリアの首相を務め、ファシスト政権を率いた人物です。
彼は以下のような強権的な一党支配体制を作り上げました。
・議会制民主主義を否定し、ファシスト政党による一党独裁を推進する。
2・異論を許さず、強力な警察組織によって反対派を弾圧する。
極端な国家主義と軍国主義を確立し、
・国家の利益を至上の価値とし、個人の自由は国家に服属させる。
・軍事力の強化と領土拡張を推進し、他国への侵略を正当化する。
3.全体主義的な統制を行う
・経済、社会、文化など、あらゆる領域を国家が統制・管理する。
・国家のイデオロギーに沿って、国民の生活を一元的に規制する。
4.権威主義的なリーダーシップ
・指導者が国家の利益を代表し、無条件に服従を要求する。
・指導者が国家の利益を代表し、無条件に服従を要求する。
代表的なファシスト政権としては、イタリアのムッソリーニ体制やドイツのナチス政権などが知られていますが、ファシズムは20世紀の代表的な権威主義体制の1つとして位置付けられています。
ムッソリーニのファシスト政権は、20世紀の権威主義的で国家主義的な政権の先駆けとして、その後の指導者たちに一定の影響を与えました。
ムッソリーニは、初期の改革期から次第に軍事的な膨張主義と全体主義的な統制体制へと政策を変化させていきますが、其の結果第二次世界大戦への参戦と敗北が彼の政権の崩壊につながることになりました。
彼は1945年4月、パルチザンに捕らえられ、ミラノ市民の前に引き出されて愛人クラーラ・ペタッチ(1912~1945)と共に処刑されて二人の遺体はミラノのロレート広場に逆さ吊りにされた。
クラーラ・ペタッチはファシストでもなく犯罪者でもなく、ただの愛人でそこにいただけに過ぎなかったため、処刑される際かなりの議論を呼んだという。
切手は1941年イタリア発行の「ローマ・ベルリン枢軸切手」の中の一枚で、ヒトラーとムッソリーニが描かれています。
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