ホレーショ・ネルソン提督(1758~1805)は、18世紀末から19世紀初頭に活躍したイギリスの海軍軍人でトラファルガー海戦でフランス・スペイン連合艦隊を破り、イギリスの勝利に大きく貢献したことで知られています。
1805年10月21日、トラファルガー海戦にて敵弾を受け戦死したネルソン提督の遺体をイギリスへ運ぶため、腐敗を防ぐためにラム酒に漬け込まれたと言われています。
この逸話から、ラム酒のことを「ネルソンの血」と呼ぶようになったのです。
ネルソンの血という呼び名は、ネルソン提督の英雄的な生涯と、彼の遺体が保存されたラム酒の特徴が結びついて生まれたもので今でも、強烈な香りと味わいのラム酒をこの愛称で呼ぶ人がいます。
またネルソン提督の功績と生涯は、イギリス海軍の歴史に深く刻まれています。
この海戦においてネルソン提督が掲げた信号文、「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する(England expects that every man will do his duty)」は、あまりにも有名でイギリス留学経験のある日本海軍の東郷平八郎は、後の1904年の第一次旅順口攻撃の際と1905年の日本海海戦において「各員一層努力セヨ」という信号旗を出した。後者は「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」という文言を予め各艦に示し、戦闘前にZ旗を掲揚させた時を合図に全乗組員にその文言を伝えさせている。
切手は1982年キューバ発行の「キューバの輸出切手」の中の一枚で、ラム酒が描かれています。
切手は2005年ジャージー発行の「トラファルガー海戦200年小型シート」で、切手にはビクトリー号が描かれ、シート面にはヴィクトリー号艦上での瀕死のネルソン提督を介抱する光景が描かれています。
切手は2005年ソロモン諸島発行の「トラファルガー海戦200年記念切手」の中の一枚で、ネルソン提督の死の光景が描かれています。
※ラム酒の平均的なアルコール度数は、約40〜50度とやや高め。で、なかには75度を超える驚異的に度数の高い銘柄も存在します※
※イギリス人は酒の盗み飲みを"アドミラル(提督)を飲む"と言います※
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