東郷ターンとは、日露戦争の日本海海戦で連合艦隊司令長官を務めた東郷平八郎(1848~1934)が用いた戦法で敵艦の進行方向を遮り、一斉砲撃する戦法で、丁字またはT字戦法とも呼ばれます

日露戦争終結後、世界中でその功績が讃えられた東郷平八郎は、「ADMIRAL TOGO(東郷提督)」や「東洋のネルソン」、またその性格から「沈黙の提督」などと称され、日本人で初めてTIME誌の表紙を飾った人物でもあります。

日本海海戦当日の5月27日早朝、参謀秋山真之(1868~1918)から東京への電報が送られました。

その内容は「敵艦見ユトノ警報二接シ 連合艦隊は直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」、これをわかりやすく言いますと、「敵艦を発見しました。連合艦隊はすぐに出動し、敵艦を撃滅します。天気は晴れていますが、波は高いです」というものでした。

1905年(明治38年)5月27日、日本海海戦において、日本海軍はバルチック艦隊を相手に大勝利を収めた。その際、連合艦隊旗艦「三笠」が「皇国ノ興廃此ノ一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ」と言う意味を込め、Z旗を掲げたことから日本海海戦の大勝利の後、日本海軍では重要な海戦の際にZ旗を掲げることが慣例化することになります。

第二次世界大戦後、GHQによって日本の軍事的モニュメントの撤去作業が行われましたが、米国海軍は東郷に関するものには手を触れさせなかったそうです。

戦後、戦艦「三笠」は荒れ果て、アメリカ軍人のため娯楽施設「キャバレー・トーゴー」や水族館が設置されたり、上部構造物はおろか取り外せそうな金属類は機関部に至るまで全て盗まれ、チーク材の甲板までも薪や建材にするために剥がされたりするなど荒廃して見るも無惨な状態でした。

太平洋戦争で対日海軍作戦を指揮したチェスター・ニミッツ元帥(1885~1966は、一方で東郷国葬に際して訪日したこともあり、「三笠」の荒廃を憂いて著書の売り上げを寄付するなどして、東郷と若い頃への思いを込めて「三笠」の復興と保存に協力します。

切手は1937年日本発行の「第1次昭和切手」の中の一枚で、東郷平八郎が描かれています。



東郷平八郎.1937


切手は2023年中央アフリカ発行の「東郷平八郎生誕175年記念小型シート」で、切手には東郷平八郎の肖像・勲章・防護巡洋艦難波、シート面には軍服姿の彼とその銅像と旗艦三笠が描かれています。


東郷平八郎.中央アフリカ.2023