古代ローマの都市ポンペイは、西暦79年8月24日にヴェスヴィオ山の大噴火によって発生した岩石や火砕流がポンペイに落下し、約2,000人が一瞬で命を奪われました
ポンペイは、イタリア南部カンパニア州にある古代ローマ帝国の都市遺跡で、ナポリ湾の近く、ヴェスヴィオ山の麓に位置していました。
ポンペイは一夜にして火山灰と軽石の下に埋もれましたが、1748年に再発見され、発掘調査が進められました。
ポンペイ遺跡は、保存状態が非常に良く、当時の街並みや生活の様子を鮮明に知ることができ、そのことから"世界で最も重要な考古学遺跡の一つ"と評価されています。
実際本格的に発掘が始まったのは、1860年のことで、発掘作業のリーダーであったイタリアリアの考古学者ジュゼッペ・フィオレッリ博士(1832~1896)の指示のもと、火山灰に埋まったポンペイから様々なものが発掘されます。
このとき、火山灰層の中に謎の空洞が数多く存在することにフィオレッリ博士は気付き、これは当時火山灰に飲まれ埋まってしまった人々が腐食によって分解され、空洞だけを残したものだったのです。
そこで、その空洞に溶かした石膏を流し込み、固まってから掘り出してみたところ、遺体を鋳型として発掘することに成功しました。
その鋳型は灰に飲まれてしまった人たちの、そのときの姿勢をとどめていて、中には苦悶する表情や髪型まで再現されたものもありました。
こうして、2000年前にあったポンペイの悲劇による被害者たちの遺体は、当時の姿を残したまま、現代に現すことになったのです。
火山の激しい破壊力を目の当たりに見せつけられます、現在富士山が噴火すれば第二のポンペイになりかねないと思いを馳せています。
切手は1967年ルワンダ発行の「第7回ヨーロッパ切手展開催記念小型シート」で、シート面にナポリ湾から望むべスビオス火山が描かれています。
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