キャロライン・ハーシェル(1750~1848)はウイリアム・ハーシェルの助手として多くの天体観測を行い、彼の業績に貢献しましキャロライン自身も多くの彗星や星団の発見を行い、彼女独自の業績を築きました。

キャロライン・ハーシェルはまた、女性としては珍しいことでしたが、王立天文学会の会員に選ばれた最初の女性でもあります。

彼女の功績は、ジョン・ハーシェルやメアリー・サマーヴィルなど、後の世代の科学者にも影響を与えました。

ウイリアム・ハーシェルとキャロライン・ハーシェルの業績は、天文学の分野における重要な貢献として認められ、この兄妹の研究は、天体観測の技術や宇宙の理解において、当時の科学界に大きな進歩をもたらしました。

ウィリアムとカロライン(1750~1848)は、バースでの音楽家としてのキャリアを捨て、天文学者としての人生を歩むために、ウィンザー城の近くに引っ越し1783年、彼らは星雲や星団などの遠方の天体を見つけるために、望遠鏡の接眼レンズをのぞき込んで地平線から天頂までの空をしらみつぶしに観察しはじめました、

このことは以後20年にわたる画期的な掃天観測の始まりで、想像を絶する骨の折れる作業だった。

天体観察の際ウィリアムは視線をそらすことができず、カロラインは兄の観測を何時間も記録し、測定値や角度を確認した。

その間、カロライン自身も掃天観測を行い、独自の発見をし最初の発見は、1783年2月に見つけたおおいぬ座の散開星団NGC 2360で、今も「カロラインの星団」と呼ばれています。

その年の夏には、アンドロメダ銀河の衛星銀河であるNGC205を発見し、同年末には、「カロラインのバラ」と呼ばれるカシオペア座の散開星団NGC 7789も発見しています。

1786年8月、カロラインは女性として初めて彗星を発見し、歴史にその名を刻むことになります。

彼女の業績はすぐに認められ翌年、ジョージ3世はカロラインが果たした重要な役割を認め、年に50ポンドの俸給を与えました。

こうして彼女は、天文学者として給与を得た最初の女性となったわけです。

1787年、ウィリアムの望遠鏡によって天王星の衛星が発見され、その2年後には土星の新しい衛星が発見され1788年にウィリアムが結婚すると、兄妹の間に緊張が走ったが、2人は協力して掃天観測を続けることになります。

彼らは英国南部から見えるほぼ全天を観測し、星雲、星団、銀河など2500個の新しい天体を発見し彼らの発見は『星雲と星団のカタログ』として出版され、今日使われている『星雲と星団の新一般カタログ(NGC)』の基礎となります。

カロラインは、1822年に兄が死去するまで共に研究を続け、その後ドイツに帰国し彼女はウィリアムの星雲と星団のカタログ3冊を改訂し、その業績により、1828年に女性として初めて天文学会から金メダルを授与された。カロラインは1848年に死去します。

彼女の墓碑銘には、「この世で栄光を讃えられた彼女の目は、星をちりばめた天に向けられていた」と刻まれています。

私が知る限りキャロライン・ハーシェルの切手は発行されていないようですが、1986年レドンダ王国発行の「彗星切手」の中の一枚で、切手右にカロライン・ハーシェルらしき人物が描かれています。

彼女の晩年の肖像画から判断して、この切手の女性はカロライン・ハーシェルと私は思いますが、誤っていればご指摘くだされば幸いです。


カロライン・ハーシェル


キャロライン・ハーシェルの肖像画


キやロライン・ハーシェル