天王星は、1781年3月13日にイギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェル(1738~1822)によって発見されました。
ハーシェルは、イギリス・バースで妹のカロラインとともに、手製の反射望遠鏡で星を観測していた際に偶然天王星を発見しました。
天王星は、太陽系の第7惑星で、名前はローマ神話の天空の神「ウラヌス(uranus)」に由来しています。
天王星は巨大な氷の惑星で、1970年代にカイパー天文台が環があることを発見し、1986年に接近したボイジャー2号によって表面の様子が調べられました
ウィリアム・ハーシェルは18世紀の天文学者であり、多くの貢献をした人物で彼は自作の感度の悪い望遠鏡で多くの天体を観測し、更に天王星の発見したということには少し誤解があります。
実際には、ウィリアム・ハーシェルは1781年に自身が設計した望遠鏡で天王星を発見しましたが、この望遠鏡は当時の標準よりも大型であり、視力に優れた光学系を備えていたからこそ天王星を他の天体から区別することが出来たわけです。
彼の発見は重要であり、天王星は太陽系における新たな惑星として認識されこの発見は当時の天文学に大きな影響を与え、ハーシェル自身もその功績により多くの称賛を受けることになります。
したがって、ウィリアム・ハーシェルは感度の悪い望遠鏡ではなく、光学的に優れた望遠鏡を使用して天王星を発見したとされています。
ハーシェルは数多くの重要な科学的発見を行なった反面、荒唐無稽な推測も嫌うことがありませんでした。
ハーシェルは、全ての惑星、さらには太陽にすら生命はもちろん文明が存在すると考えていて、太陽は低温の固い表面を持ち、不透明な雲の層がこの表面を高温の大気から守っているとし、この奇妙な環境に適応した様々な生物種がその上に生息すると考えていました。
更に1800年頃にはハーシェルは赤外線放射を発見し、彼は太陽光をプリズムに透過させ可視光のスペクトルの赤色光を越えた位置に温度計を置く実験を行なっています。
この実験で温度計の温度は上昇し、このことから彼は、赤色光の先にも目に見えない光が存在すると結論づけました。
切手は1993年ガーナ発行の「ニコラウス コペルニクス没後450周年記念ミ型シート」で、コペルニクスの肖像とともにシート面にはハーシェルの望遠鏡が描かれています。
切手は1984年パラグアイ発行の「ハーシェルの望遠鏡切手」で、切手左上にセロトロロ天文台 (チリ)のドームと切手中央にはハーシェルの望遠鏡が描かれています。
切手は1985年ニカラグア発行の「ハレー彗星出現切手」の中の一枚で、切手左上にパロマのヘイル望遠鏡と切手中央にはハーシェルの望遠鏡が描かれています。
切手は2020年ベナン発行の「天文学者小型シート」の中の一枚で、ハーシェルが描かれています。
コメント