林 彪(りん ぴょう:1907~1971)は、中華人民共和国の政治家、軍人で中華人民共和国元帥でした。

文化大革命中の1968年10月に失脚した劉少奇国家主席に代わって毛沢東党主席の後継者に指名されますが、1971年9月13日、モンゴル人民共和国のウランバートル市郊外で、乗機のY-12型双発機が墜落し死亡したとされています。

中国政府は、林彪が毛沢東暗殺を企図して逃亡を図ったものの、墜落事故で死亡したと発表したが、この発表には多くの疑問や矛盾点があり林彪死因の真相は未だに謎に包まれたままです。

中国政府の発表によると林彪は墜落直前に機体を操縦し、墜落を自殺としたものです。

しかし、機体の残骸や乗員の遺体からは、墜落の原因となったような破損や損傷は見られず、更に機体の操縦桿は墜落直前に激しく操作された形跡もなかった。

これらのことから、林彪は墜落を自殺したものではなく、何らかの外部からの攻撃によって墜落させられたのではないかとの疑いがもたれています。

具体的には、以下のような説が唱えられています。

1.毛沢東派による暗殺説

2.林彪派によるクーデター失敗説

3.ソビエト連邦による暗殺説

毛沢東派による暗殺説は、当時の中国情勢から見て最も有力な説ですが、林彪は毛沢東の後継者として位置づけられていましたが、文化大革命の失敗や毛沢東の妻である江青の台頭などによって毛沢東との関係が悪化したことから林彪がクーデターを起こそうとしたとの噂も広まっており、毛沢東派にとってはこれが林彪を排除する絶好の機会であった。

林彪派によるクーデター失敗説は、林彪が毛沢東派のクーデターに反発し、逃亡を図ったものの、失敗して墜落したというものである。

しかし、この説は、林彪がクーデターを起こすだけの勢力を持っていたか、また仮にクーデターを起こそうとしたとしても、なぜ機体を操縦して墜落するという自殺行為に及んだのかという疑問が残ります。

ソビエト連邦による暗殺説は、林彪がソビエト連邦に亡命しようとしたものの、ソビエト連邦によって阻止されて墜落させられたというものですが、この説は林彪がソビエト連邦との関係が深かったことから、ソビエト連邦が林彪の亡命を阻止するために、暗殺を行ったのではないかとする推測に基づいています。

いずれの説も、決定的な証拠を欠いており、林彪死因の真相は、依然として謎に包まれたままですが、林彪死因が中国の政治情勢や国際情勢と密接に関係していることは、間違いないと思われます。

林彪死因の真相解明は、中国現代史の理解に欠かせない課題となっています。


切手は1967年中国発行で、毛沢東と林彪が描かれています。


毛沢東と林彪.中国.1967