和算とは、西洋で発達した数字を使って計算をする数学ではなく、図解したりことばにおきかえて計算をする日本独自の学問で日常生活に即した場面で使われる実際的なところが特徴です。
和算は、中国の伝統数学を基盤とする日本の算術体系で、明治に流入した西洋数学(洋算)と対比するために作られた言葉で、主に江戸時代の数学を指します。
和算は、江戸時代の鎖国時代に西洋の影響を受けずに独自に発達した数学ですが、記号を使って高度な代数や幾何を解くという点では洋算と変わらず、そのレベルも同時代の西洋の数学と肩を並べるほど優秀でした。
和算は、日常生活に即した場面で使われる実際的なところが特徴で江戸時代の数学者関孝和(生年不詳~1708)の弟子である建部賢弘(1664~1739)は、「円周率π」の計算で41桁まで弾き出すことに成功していますが、驚くべきことにれはスイスの数学者で理数科学者の天才レオンハルト・オイラー(1707~1783)が微積分学を用いて同じ公式を発見する15年も前のことです。
和算は、江戸時代に吉田光由(1598~1673)が1627年に著した『塵劫記(じんこうき)』をきっかけに広く普及し、"算聖"と称された関孝和が大成したといわれています。
明治以降の算数教育は、従来の和算によるものではなく西欧の算数である洋算による方針が打ち出されました。
和算の計算に使用される道具としては、算木(さんぎ)とそろばんがありますが、西欧の算数が取り入れられた結果算木ははいしされますが、そろばんだけは例外的に計算道具として他に替えるものがないということで、存続することになりますが、これ以後公教育の現場から和算は姿を消す運命をたどことになります。
関孝和は、円周率の計算の他、著書「発微算法」(1674)では算木を改善するために発明した傍書法を用いて、新しい代数方程式の解法を示しまし、更に行列式の理論を生み出し、ベルヌーイ数を最初に取り扱ったことも知られています。
切手は2007年スイス発行の「レオンハルト・オイラー生誕300周年記念切手」で、彼の肖像とともに『オイラーの多面体定理』が描かれています。
※多面体の頂点の数e、辺の数k、面の数f はe-k+f=2 という関係が成り立つ※
切手は1992年日本発行の「関孝和生誕350年記念切手」で、彼の肖像ととも和算が描かれています。

切手は1972年オーストラリア発行の「第10回国際会計士会議記念切手」で、そろばんが描かれています。

切手は1972年スリナム発行の「児童福祉切手」の中の一枚で、子供の使う時計の上にそろぎんが描かれています。


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