もく星号墜落事故は、1949年4月9日、東京の羽田空港から大阪の伊丹空港に向かっていた日本航空のDC-3型機が、東京都の伊豆大島沖で墜落した航空事故です。乗員乗客52名全員が死亡しました。
この事故は、戦後初の大規模な航空事故であり、日本航空史上最悪の事故となり当時の日本の航空技術や安全体制の脆弱性が露呈することになる大きな事件となりました。
事故の原因については、政府事故調査会の報告書では、操縦者の航法上の錯誤によるものとされていますが、事故の状況は複雑であり、未だに謎の部分が多く残されています。
事故の概要は、以下のとおりです。
4月9日午前8時10分、羽田空港を離陸。
午前8時40分、館山付近で針路を変え、伊豆大島上空を通過する。
午前8時50分頃、伊豆大島の三原山に接触し墜落。
事故の原因として、政府事故調査会は、以下の可能性を挙げています。
1.操縦者の航法上の錯誤
2.航空管制の誘導の誤り
3.機体の故障
操縦者の航法上の錯誤については、指示された高度2000フィートで飛行したものの、なんらかの理由で幅16kmの航空路の中心線を北側に逸脱し、時速200マイルで水平飛行中の機体が三原山に接触したのではないかと推定されています。
航空管制の誘導の誤りについては、三原山の北側に位置する「差木地」空港への誘導を誤り、もく星号が三原山に進入してしまったのではないかと推定されています。
機体の故障については、機体に異常は見られなかったため、可能性は低いとされています。
事故の原因については、これら3つの可能性のいずれか、もしくは複数が重なった可能性も考えられますが、事故の状況は複雑であり、未だに謎の部分が多く残されています。
事故の余波として、日本航空は、安全体制の強化に取り組み、更に政府は航空安全に関する規制を整備しました。
もく星号墜落事故は、日本航空の歴史において、重要な転換点となった事故と言えます。
切手は1947年米国発行の「航空切手」の中の一枚で、ワシントンDCのパン アメリカン ユニオン ビル上空を飛行するもく星号と同機種のマーチン2-0-2が描かれています。
切手は2021年日本発行の「AL FLEET HISTORY 70年の変遷 1951-2021フレーム切手」で、もく星号マーチン202型機が収められています。
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