1794年フランス革命の数年後、一人の天才科学者がギロチンの露と消えました。

彼の名はアントワヌ・ロラン・ラヴォアジェ(1743~1794)です。

彼は裕福な家庭に生まれ、若い頃からずば抜けた才能を持っていて科学の研究に勤しむことになります。

25歳の若さでフランス王立アカデミーの会員にも選ばれています。

彼は質量保存の法則を発見、酸素の命名、フロギストン説を打破し、1785年に水の分解実験に成功し、1789年にそれらの知見をまとめて『化学原論』を出版し、物質の究極的な構成要素を「元素」と名付け、水素、酸素、窒素など33種類の元素を列挙し、あわせて「質量保存の原則」を明らかにしたことから、これらラヴォワジェの業績は、錬金術から化学に変化させ、近代科学を真に成立させたことから「近代化学の父」と称されています。

1868年にラヴォアジェはこの収税人組合の一員となりタバコ税、塩税、一部のアルコール飲料の税などを徴収していました。

当時の徴税請負人は、市民から正規の税に加えしばしば不当で高額な手数料をさらにとり、市民を苦しめていたため1793年11月24日に革命政府は徴税請負人を全員逮捕すべく指名手配します。

彼は酷い徴税はせず、むしろ税の負担を減らそうと努力していましたが、徴税請負人の娘と結婚していたことなども理由に投獄されます。

1794年5月8日、革命裁判所における審判で「フランス人民に対する陰謀」との罪で死刑を言い渡されますが、彼の弁護人はラヴォアジエの科学上の実績を持ち出して弁論を行いますが裁判長のジャン=バティスト・コフィナルに『共和国に科学者は不要である』と宣言その日のうちにコンコルド広場にあるギロチンで処刑されました。

裁判官は「共和国には学者も化学者も必要ない」と宣言して彼に死刑を言い渡します。

彼の死を知った当時最大の数学者ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ(1736~1813)は、「ラボアジェの首を断ち切るのはただの一瞬だが、彼と同じくらいの頭脳が再び現れるには百年も待たなければならない」こう言って嘆いたという。

切手は2011年トーゴ発行の「世界化学年小型シート」で、切手には実験中のラボアジェが、シート面には左からマリー・キュリー、ドルトン、メンデレーフが描かれています。



ラボアジェ.トーゴ.2011


切手は2011年ギニアビサウ発行の「世界化学年小型シート」で、シート面には実験器具とともにラボアジェが描かれていますが、切手の鉱物はなにかわかりません。


ラボアジェ.ギニアビサウ.2011