早すぎた発見・学説とは、その名の通り、後世になって認められるまでに時間がかかった発見や学説のことを指します。
つまり、その先駆的なアイデアや理論が当時の人々には理解されずに見過ごされていたというわけですね。
しかし、後になってその価値が認められ、科学や社会の進歩に大きな影響を与えることもあります。
こうした早すぎた発見・学説は、当時の常識や既存の考え方に疑問を投げかける勇気を持った人々によって提起されました。
彼らは大いなる批判や不名誉を受けながらも、自分たちの信じる道を進み続けそして、後世になってその功績が認められ、私たちの知識の範疇を押し広げたのです。
このような早すぎた発見・学説は、私たちにとっても大いなる教訓です。過去の常識や定説にとらわれず、新たなアイデアや理論に対しても開かれた心を持つことが重要だと思います。
常に進化し続ける科学や社会において、早すぎたものは必ずしも間違いではないのですから。
これから早すぎた発見・学説とを紹介させていただきますのでお付き合いくだされば幸いです。
カエル・セルヴェトゥス(1511~1553)の名前を聞いたことはありますか?
ミカエル・セルヴェトゥスは16世紀の医学者で神学者でもあり、彼の最も有名な貢献は肺血液循環説の発見です。
彼の驚くべき業績について詳しく見ていきましょう!
彼は非常に進歩的な思考を持っており、革新的な視点で解剖学に取り組みました。
彼は、1553年に出版した著書『キリスト教の復元(Restitutio Christianismi)』の中で、肺循環説を初めて提唱しました。
※『キリスト教の復元(Restitutio Christianismi)』は、禁書となり焼かれましたが、幸いにも3部が残り後世に伝えられることになります※
セルヴェトゥスの肺循環説は、心臓の右心室から出て肺動脈を通って肺に運ばれた血液が、肺で酸素を取り込み、二酸化炭素を排出した後、肺静脈を通って左心房に戻ってくるという説です。
これは、それまでの心臓は単なる血液の貯蔵庫であるという考えを覆し、その後、17世紀のイギリスの医師、ウィリアム・ハーヴィーによって実証されることになります。
彼は、肺の血液循環に関する説を提唱し、これによって医学の世界に大きな影響を与え、彼の業績は後の科学者たちによって評価され、肺循環の理解を進める上で重要な役割を果たしました。
彼の実験と研究は真実を証明し、肺は血液の中の不純物を取り除き、新鮮な酸素を身体に供給する役割を果たしていたのです。
しかし彼の画期的な発見は当初は誰も信じませんでした。
新しい発見の多くは最初はほとんどの人には受け入れがたいものなんです。
彼の「肺血液循環説」という新しい理論とは肺を通って動脈と静脈がつながっているというものですが、この革命的なアイデアは彼にとって悲劇的な結果をもたらすことになります。
当時の学界はローマ帝国時代のギリシャの医学者ガレノス(129~200)の説を盲信しており、セルヴェトゥスの理論は矛盾だらけだと一蹴され彼は異端者として告発され、逮捕されてしまいます。
セルヴェトゥスの肺循環説は、当時の医学界では異端と見なされ、彼は1553年にローマで異端審問にかけられ、火刑に処されます。
セルヴェトゥスの悲劇は肺循環の発見を阻みましたが、彼の勇気と独自の思考は後の医学の発展に大きな影響を与えました。
肺循環の発見者であるセルヴェトゥスの貢献は、現代の医学において不可欠で彼が肺血液循環説を提唱したことで、人類は生命の謎の一部を解き明かすことが出来たのです。
後世の科学者たちによって再評価されることになります。
ミカエル・セルヴェトゥスは肺循環の発見は、早すぎた発見と言わざるを得ません。
切手は1977年スペイン発行の「文化人切手」で、ミカエル・セルヴェトゥスの肖像が描かれています。
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