ヤマトタケルは(景行天皇12年~景行天皇41年)は、古事記や日本書紀などに伝わる古代日本の皇族です。
『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記され現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用されています。
※景行天皇(けいこうてんのう)の生年月日は、日本の伝承によれば、西暦73年8月29日(旧暦では建元元年7月7日)とされていますが、景行天皇は、日本神話の時代に存在したとされる伝説上の天皇であり、その実在性は歴史的には確証されていませんそのため、生年月日も伝承に基づいたものです※
ヤマトタケルは第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたり、熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄です。
最も有名なエピソードの一つは、八岐大蛇(やまたのおろち)との戦いで、ヤマトタケルは、この巨大な蛇を退治するために、神々から与えられた剣「草薙の剣」を使って八岐大蛇を討ち、大和の地を安定させたと言われています。
また、彼とニホンオオカミとの話も有名です。
狼信仰として現在も人気の高い三峯神社、武蔵御嶽神社でも、神社の由緒とされている話で、ヤマトタケルが東征中に山道で霧で迷ったとき白いヤマイヌ(白いニホンオオカミ)が導き助けます(『日本書紀巻第7 大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと) 景行天皇(けいこうてんのう)』)。
※ヤマトタケルは、日本の古代史上の英雄と言われていますが伝説上の人物で実在していないとするのが通説です※
切手は2012年日本発行の「古事記編纂1300年切手」の中の一枚で、ヤマトタケルノミコトが描かれています。
【おまけの話】
ニホンオオカミの像は、1987年に小川(旧名「鷲家口」)に、東吉野村がニホンオオカミの等身大ブロンズ像を建立しました。
ニホンオオカミは1905年(明治38年)、東吉野村鷲家口(わしかぐち)で捕獲されたのが最後とさその後、生存が確認されず絶滅種と認定されたが、村役場の担当者によると「最後の一頭の標本はロンドンに存在し、毛皮の標本と頭骨はロンドン自然史博物館に収蔵されています。
日本国内においては、国立科学博物館、東京大、和歌山大に3体の剥製が残るのみです。
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