モーセの十戒は、ユダヤ教とキリスト教の聖典である旧約聖書に記載されている10の戒律を記載したものです。
モーセがシナイ山で神から授けられたとされていて、ユダヤ教とキリスト教の宗教的および倫理的原則の基礎となっています。
十戒は、主に2つのカテゴリーに分けることができます。
最初の4つの戒めは、神への信仰と礼拝に関連し、残りの6つの戒めは、人間関係に関連しています。
第一戒は、唯一神を信じ、他のいかなる神にも仕えてはならないというものです。
第二戒は、偶像を崇拝してはならないというものです。
第三戒は、神の名前を冒涜してはならないというものです。
第四戒は、安息日を聖別し、休息するというもの(ユダヤ教では土曜日、キリスト教では日曜日)です。
第五戒から第十戒は、人間関係に関連しています。
第五戒は、両親を敬うというものです。
第六戒は、殺してはならないというものです。
第七戒は、姦淫してはならないというものです。
第八戒は、盗んではならないというものです。
第九戒は、偽証してはならないというものです。
第十戒は、隣人の家を欲しがってはならないというものです。
モーセの十戒は、何世紀にもわたって人々によって解釈され議論されてきましたが、十戒が真実であるかどうかを判断するのは各個人の自由ですが、それはユダヤ教とキリスト教の両方にとって非常に重要な部分なのです。
聖書によれば、モーセはシナイ山に登り、神から十戒が刻まれた石版を受け取り、下山しましたが、彼が下山するとイスラエル人は金の牛の偶像を崇拝しているのを見、モーセは激怒し石版を地面に叩きつけて割ってしまいます。
モーセが石版を割った理由はいくつかありますが、一つは、イスラエル人が神を裏切ったことに怒っていたからかもしれません。
また、十戒が刻まれた石版が汚れたものに触れると破壊されるという神の警告を思い出したのかもしれません。
更にモーセ自身が十戒を守ることができなかったことを恥じて、石版を割ったのかもしれません。
いずれにせよ、モーセが石版を割ったことは、イスラエルの歴史における大きな転換点となりました。
それは、イスラエル人が神との契約を破った瞬間であり、また、彼らが長い旅の中で直面する多くの試練の最初のものとなりました。
しかし、歴史的な事実として、モーセの十戒が実際に神から授けられたかどうかは、科学的に証明されているわけではなく、宗教的な信仰に基づくものであるため、個人の信念や解釈によって異なる見方がされることもあります。
したがって、モーセの十戒が真実であるかどうかは、個人の信仰や見解によって異なると言えます。
切手は1981年イスラエル発行の「出エジプト記切手」の切手の中のシナイ山に登ったモーセが十戒の刻まれた石板を授けられ下山する場面が描かれています。
タブの部分には、そのことを示す「出エジプト記」第34章29節の文言"モーセが山を降りて来たときその手に二枚のあかしの石の板を持っていた"が記されています。
切手は1994年ニカラグア発行の「映画切手」の中の一枚、でモーセが十戒の刻まれた石板を持つ場面が描かれています。
切手は1993年アンティグア・バーブーダ発行の「レンブラントとマティスの有名な絵画切手」の中の一枚で、レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(1606~1669)作『十戒の石板を破壊するモーセ』で、モーセが神から授かった十戒の2枚の石板を掲げて当に破壊する直前の様子が描かれています。
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