地球空洞説は、地球の内部に地上世界とは別の理想世界が存在し、聖人や天人や仙人のような気高い人々が暮らしているという発想は、世界中の神話や民話、伝説に存在しています。

1692年英天文学者エドモンド・ハレー(1656~1742)は、地球は厚さ800キロメートルの最外球、中間球、最内球、中心核から構成され、どの球体もそれぞれ異なる速度で回転していると想像しています。

18世紀スイスの天才数学者レオンハルト・オイラー(1707~1783)も地球空洞説を思考実験の対象として取り上げたが、ハレーの多重回転球は省略し、内部世界にもしも高度文明が存在するなら、直径1000キロの中心太陽に照らされているだろうと想定しています。

アメリカ陸軍の大尉ジョン・クリーブス・シムズ(1779~1829)は、1818年『同心円と極地の空洞帯』という本で、地球空洞説を唱えています。

これによると「地球は厚さ800マイル (1,300km)、各々の両極に直径1400マイル (2,300km) の開口部を持つ五層の同心球である」とされ、地表の海はそのまま裏側にまでつづいていると記しています。

このシムズの説は、初期の地球空洞説のなかでも最も有名なものとして知られるようになりました。

アメリカ海軍少将リチャード・イヴリン・バード(1888~1957)は世界で初めて北極と南極の両極点の上空を飛行した人物です。

1946~47年にかけて実施された作戦で、当時、米ソ冷戦時代だったので、アメリカ軍は北極点の制空権を誇示するためにアラスカ基地から北極点上空を過ぎ、2700km地点まで飛行してアラスカ基地にUターンする予定でしたが、目標地点2700のkm付近で白い霧に包まれて「ホワイトアウト」状態になってしまいました。

視界0の状態の中、バード少将は"霧自体が発光している"といつもと違う霧に危険を感じ、アラスカ基地にSOSを知らせようとした時に急に視界が開けます。

彼自身北極圏の真っ白い世界を航行していたにも関わらず、飛行機の眼下には亜熱帯の様なジャングルが広がり、飛行機の計器では外気温は20℃を示していたそうです。

眼下に広がった信じがたい光景をアラスカ基地に報告しますが、基地内ではジョークだと笑われ信じてもらえませんでした。

ハイジャンプ作戦から約10年後の1956年1月にアメリカ軍は新たに「ディープ・フリーズ作戦」を画策し、南極大陸にある「マクマード基地」から南極点を通過して3700km飛行してUターンする作戦を実施しました。

作戦当日、3700km地点を通過するところで再び光る霧に遭遇、突入すると「緑色の大地」が広がっており、彼はすぐにマクマード基地に報告を入れます。

「現在、私は南極点の彼方3700km地点上空を飛行中だが、真下には巨大な大地が見える。どうやら大陸に侵入したようだ」と報告しますが、実際のところ南極点から3700km地点には大地は存在しないのです。

前回のハイジャンプ作戦とは違い、まるで予期されたような冷静な通信、余裕をもった量の燃料の搭載から、地下大陸に侵入するの目的だったと想像されています

彼は、この2作戦により"知りすぎた男"として有名になり、1956年3月に「今度の探検は広大な新しい地域を開いた」と発言してしまします。

最高機密情報であった地底世界の存在をこれ以上、公式の場で公にされないようアメリカ軍の命令違反という名目で、バード少将の探検記録全てを機密扱いにされてしまいます。

軍がこのバード少将の探検記録全てを機密扱いにしたことから地球空洞説は、現実のものではないかと噂され、多くの人々の興味をもつことになります。

2023年時点科学者たちは一様にこれを疑似科学であるとして退けられています。


切手は1957年東ドイツ発行の「著名人切手」の中の一枚で、レオンハルト・オイラーが描かれています。



オイラー.東ドイツ.1957


切手は1986年イギリス領南極発行の「ハレー彗星出現切手」の中の一枚で、エドモンド・ハレーが描かれています。



ハレー.英領南極.1986


切手は1988年米国発行の「南極探検対切手」の中の一枚で、バード少将の肖像後共に南極の地図・探検に使った彼の飛行機が描かれています。

バード.米国.1988