1922年11月26日、古代エジプト第18王朝のファラオ、ツタンカーメンの墓が発見され、このとき、王の永遠のやすらぎを邪魔した者全員に死と破壊をもたらす強力な呪いがかけられたとまことしやかに囁かれました。
※ツタンカーメン(紀元前1341年頃~紀元前1323年頃)は、古代エジプト第18王朝のファラオ(在位:紀元前1332年頃~紀元前1323年頃)で、9歳で即位し19歳で亡くなった悲劇の少年王として知られています※
「ツタンカーメンの呪い」とは、エジプトのファラオであったツタンカーメン王の墓を発掘した際に、発掘隊のメンバーが次々と不幸に見舞われたとされる呪いのことです。
1922年にイギリスの考古学者、ハワード・カーター(1874~1939)によって発掘されたツタンカーメン王の墓には、多くの財宝が眠っていました。
しかし、発掘後に発掘隊のメンバーが次々と怪我や病気にかかったり、死亡したりしたことから、「ツタンカーメンの呪い」という言葉が生まれました。
実際には、発掘に参加した人々の中には、発掘によって放出された微生物によって感染症を発症したり、砂嵐に巻き込まれたりするなど、自然災害や偶然によって不幸に見舞われた人もいましたが、このような出来事が相次いだことから、人々は「呪い」と考えるようになったのです。
実際は科学的には「呪い」など存在せず、ツタンカーメン王の墓の発掘によって発生した不幸は、偶然の一致にすぎないと考えられています。
ツタンカーメンの墓の発掘に直接携わった者で1年以内に亡くなったのは、イギリスの考古学者カーナヴォン卿(1866~1923)だけで、呪いの真相については、ハワード・カーターと独占契約を結んだタイムズに対抗した他の新聞社が、発掘関係者が死亡するたびに「王家の呪い」と報じたことが原因であるとされています。
※カーナヴォン伯は髭剃り中にたまたま蚊に刺され、その後すぐに敗血症で亡くなっています※
墓が暴かれてから数ヶ月後、マスコミがミイラの呪いを口にし始めてから6週間後の死だったため、ミイラの眠りを妨げた関係者たちに少なからず影響を与えたと思われています。
切手は2022年イギリス発行の「ツタンカーメン王墓発見100年記念切手」の中の一枚で、有名な黄金のマスクが描かれていてます。
切手は2022年イギリス発行の「ツタンカーメン王墓発見100年記念小型シート」で、ハワード・カーターによる発掘の光景が描かれていてます。
切手は1967年エジプト発行の「国連デー切手」で、ツタンカーメンの黄金の玉座に描かれたツタンカーメン王が玉座に座り、王妃アンケセナーメンが王に香油を塗っている情景が描かれています。
アンケセナーメン(紀元前1348年頃~紀元前1322年頃)は、ツタンカーメンの妻で、ツタンカーメンとの結婚は彼女が約13歳、彼が約9歳の時に行われました。
彼女は美しい容姿で知られていますが、彼女の墓は発見されておらず、その生涯については不明な点が多いため、多くの謎に包まれたままです。
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