グレース・パトリシア・ケリー(1929~1982)は、アメリカ合衆国の女優で、カンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ3世(在位1949~2005)と結婚し公妃となるため女優業を引退します。
1982年9月13日年愛車のローバー3500をグレース公妃自らハンドルを握ってラ・テュルビーからさらに3キロほど過ぎたあたりの急カーブを曲がりそこねそのまま40メートルの斜面を転がり落ちたのでした。
事故後すぐに病院へ搬送されましたが、意識が回復しないまま翌日に52歳で死亡します。
後の話として、ステファニー公女の姉のカロリーヌ公女は、米国の作家ジェフリー・ロビンソン(1945~)に対し、妹から伝え聞いた事故当時の状況を次のように話しています。
“どうしよう、止まらない。ブレーキが効かない、とママは何度も繰り返したの”と、ステファニーは教えてくれました。
ママは完全にパニック状態に陥っていたそうです。
ステファニーは、ハンドブレーキを引いたそうです。
これは事故の直後に聞かされた話になります。
“ハンドブレーキを引いたのに、クルマはまったく止まってくれなかったの。止めようとしたのだけど、どういうわけか…クルマは止まらなかった”と。
事故前からグレース公妃は、「頭痛に悩まされていた」と言っていたことから車の運転中瞬間的に意識を失ったと推測されてもいます。
それを裏付けるように検死を担当した医師たちにより、「グレース公妃に、脳血管発作を起こしたと思われる根拠が見つかった」と発表がなされました。
グレース公妃がブレーキではなく、アクセルを踏み込んでしまったのではないか?と見る人もいますし、なんらかの理由で足を動かすことができなかったのではないか?と推理する人もいるようです。
更に当初、運転していたのはグレース公妃ではなく、ステファニー公女だったのではないかという(誤った)憶測が流れもしました。
公国スポークスマンによる不確かなメッセージが広まったおかげで、「ステファニー公女がドライブしていた」や、「グレース公妃に対して適切な治療がなされなかった」などという、今日まで語り継がれるほどの疑惑を生んでしまったわけです。
兎にも角にも著名人の突然の死には色々とお憶測が飛び交い謎めいたことになりやすい様ですねぇ。
切手は2014年モナコ発行の「グラシア・パトリシア財団50年記念切手」で、グレース・ケリーが描かれています。

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