4世紀のヨーロッパではペストの大流行により、全人口の30%が命を落としたとされています。
ヨーロッパで最初に記録に残っているペストの流行は、542年から543年にかけて東ローマ帝国で流行したもので、当時は「ユスティニアヌスの疫病」と呼ばれました。
中世ヨーロッパにおけるペストの流行は、472年以降、西ヨーロッパでは発生していませんでしたが、14世紀には全ヨーロッパにまたがるペストの大流行が発生しました。
1348年にはアルプス以北のヨーロッパでも流行し、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、多くの死者を出しています。
全世界で8,500万人、当時のヨーロッパ人口の三分の一から三分の二、約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されています。
その後も、ペストは17~18世紀頃まで何度か流行を繰り返し、1665年にはロンドンで流行し、およそ7万人が死亡しています。
当時は病原体が分からず、その治療法もなく、尚かつ流行を止める効果的な手段を持たなかった当時の人々は、ただ神に一心に祈り、流行が治まるのを待つしか対策がありませんでした。
それでは、ペスト塔とは何なのでしょうか?
流行が治まり、生き残った人々は神に感謝して、建立したの建物です。
ペスト塔もそのひとつで、塔の上部には三位一体を示すハトと天使の像、中部には皇帝の像、下部にはペスト患者の苦難の像と信仰がペストに打ち勝ったことを象徴する十字をかざした女性像が装飾されています。
主に中世ヨーロッパでの第2次ペスト大流行の後半17~18世紀にペストの惨禍から解放された喜びをこめ、神に感謝して奉納されたものです。
最初のペスト塔は1614年にローマに立てられました。
最もペスト塔の多いのは、旧のチェコスロバキアです。
切手は1946年チェコスロバキア発行の「チェコスロバキアの都市・風景・城切手」の中の一枚でホドニンのペスト塔(手前の塔)です。
切手は1976年オーストリア発行の「美しきオーストリアシリーズ」の中のスタイアーマルクのペスト塔です。
一見して日本の「灯籠」の様に見えます。
コメント