541~542年にかけて、東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノープルで大規模な疫病が発生しました。
この病は、東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝の第2代皇帝ユスティニアヌス1世(482~565)にちなんで、「ユスティニアヌスのペスト」と呼ばれています。
コンスタンティノープルの住民は妄想、発熱、股間や脇の下の腫れなどの症状に苦しみ、死者数は1日当たり5000~1万人にのぼったと見られています。
当初はコンスタンティノープルで局所的に流行したに過ぎませんでしたが、やがて疫病は地中海沿岸の地域などに広く拡大し、パンデミックへと発展して行くことになります。
最終的に終息するまでには25年の歳月を要し、その間の死者は5000万人以上にのぼったことから、人類史上最悪のパンデミックのひとつに数えられています。
当時の遺体のDNAを解析した2013年の研究では、ペスト菌の痕跡が発見されています。
ただし、14世紀のヨーロッパを襲い「黒死病」とも呼ばれたペストとユスティニアヌスのペストとでは、ペスト菌の株が異なることも分かっています。
切手は2020年シエラレオネ発行の「パンデミックの歴史小型」の中の一枚で、ユスティニアヌスの疫病(541~549)が描かれています。
切手には原因菌の拡大図とともに当時の様子、タブには感染症の説明・原因・死亡者数・発生起源を示す地図が描かれています。
切手は1935年バチカン市国発行の「ローマ国際会議切手」の中の一枚でユスティニアヌス(左の人物)が描かれています。


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