第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121~180)の時代にも、疫病が発生しています。
皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスもこの病気で死んだとされています。
皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスもこの病気で死んだとされています。
これは、165年にメソポタミアに遠征していたローマ兵が持ち帰ったものだと考えられています。
臨床医としての経験と多くの解剖によって体系的な医学を確立したギリシアの医学者ガレノス(129~200)によって記された最古の医療記録の1つとされている資料によると、主な症状は発熱性の血便、水疱性の発疹、皮膚の膿疱などです。
疫病はヨーロッパ、アジア、アフリカ北部などにまん延し、1000万人の死者を出したとされています。
ガレノスの報告の内容に合致するのは、麻疹(はしか)と天然痘です。
ただし、麻疹の原因となるウイルスとその近縁種である牛疫ウイルスを比較した結果、ふたつのウイルスが共通の祖先から枝分かれしたのは11世紀か12世紀頃である可能性が高いことが判明しています。
そのため、2世紀ごろには麻疹はまだ存在していなかったとする考えが大勢を占めているのが実情です。
今では天然痘だったのではないかと考えられていますが、現在では天然痘はすでに根絶されたため、その脅威は過去のものでしかありません。
しかし、この疫病の被害により貿易や経済が落ち込んだことがローマ帝国滅亡の遠因になったもいわれていることから、アントニヌスの疫病は現代のパンデミック対策を考える上でも重要な教訓と言えそうです。
切手は2020年シエラレオネ発行の「パンデミックの歴史小型」の中の一枚で、アントニヌスの疫病(165~180)が描かれています。
切手は2021年スロバキア発行の「マルクス・アウレリウス・アントニヌス生誕1900年記念切手」で、騎乗のマルクス・アウレリウス・アントニヌスの像が描かれています。
切手は1966年イエメン・アラブ共和国発行の「WHO庁舎落成記念切手」で、WHO新庁舎とともにガレノスが描かれています。
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