森鴎外(1862~1922)は、小説家、評論家、翻訳家、教育者、軍医総監(陸軍中将相当)、官僚で多彩な肩書を持っていました。

医官としてドイツ留学から帰国後、軍医としての仕事のかたわら、小説『舞姫(1890)』、『雁(1911)』、『阿部一族(1913)』、『山椒大夫(1915)』、『高瀬舟(1916)』、などを執筆するなどして医学と文学の両方で活躍しています。

医学分野における「脚気の論争」、「北里柴三郎との確執」についてはここではあえて触れません。

肺結核と腎萎縮のために満60歳で死亡しています。

結核に感染して当時60歳まで生きながらえるのは極めて稀です、医師としてそれなりの対処をしていたからかもしれません。

切手は1951年日本発行の「文化人切手」の中の一枚で、森鴎外の横顔が描かれています。


森鴎外.1951


切手は1990年日本発行の「第8回ドイツ語学・文学国際学会記念切手」で、若き日の森鴎外の肖像とゲーテの『ファウスト』の一節が描かれています。



森鴎外.1990