樋口一葉(1872~1896)は、短編小説『闇桜(1892)』でデビューしその後『大つごもり(1894)』・『たけくらべ(1895年)』・『うつせみ(1895年)』『にごりえ(1895年)』・『十三夜(1895年)』などの秀作を発表し、文壇から絶賛されますがそのわずか1年半でこれらの作品を送り出した後、1896年11月23日、丸山福山町の自宅において24歳と6ケ月の若さで肺結核によりこの世を去ります。

一葉家族の貧困生活はひどく、母と妹と3人での針仕事や洗い張り、下駄の蝉表作りなどの賃仕事をこなして生活費に当てますがそれだけでは足りず、方々に借金を繰り返す苦しい生活を強いらています。

小説『うもれ木』を雑誌『都之花』に発表し初めて原稿料11円50銭を受け取りますが、6円は借金の返済に消えていきます。

1896年には『文藝倶楽部』に『たけくらべ』が一括掲載されると、森鴎外や幸田露伴は同人誌『めさまし草』で一葉を高く評価しています。

この頃一葉の結核は悪化して思わしくない状態が続いていたことから、森鴎外が当代随一の名医と称される樫村清徳、青山胤通らの医師を頼み往診に向かわせますが、この時既に恢復が絶望的との診断を受けています。

切手は1951年日本発行の「文化人切手」の中の一枚で、樋口一葉が描かれています。



樋口一葉.1951



切手は1981年日本発行の「近代美術シリーズ切手第11集」の中の一枚で、日本画家鏑木清方(1878~1972)が描いた『一葉』樋口一葉が描かれています。


樋口一葉.1981