明治の天才歌人と謳われる石川啄木(1886~1912)は、子どものころは神童と呼ばれ、 若 くして詩人としての才能を発揮し小説家を目指して上京しますが、小説家になることには失敗しそこで大きな挫折を経験します。
そして生活困窮のなか石川啄木は、1910年に刊行した初の歌集『一握の砂』によって歌人として名声を得ます。
しかし貧困生活からは抜け出せず、家族や友人に迷惑をかけるすさんだ生活を続けます。
歌集『一握の砂』巻頭の歌、『東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる』はあまりにも有名です。
この歌は青森県の大間町大間崎にある石川啄木歌碑に彫られています。
彼は1912年4月13日午前9時30分頃自宅にて肺結核のため死去満26歳の若さでした。
2022年は石川啄木没後110年にあたります。
切手は2010年日本発行の『石川啄木歌集「一粒の砂」発刊記念オリジナルフレーム切手』で、フレーム部分には啄木の写真と『歌集一粒の砂』が、切手には明治35年秋の啄木・婚約時代の啄木と節子・明治41年秋の啄木など10種が収められています。
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