ラファエロ・サンティ(1483~1520)は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家で、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠と称されています。
彼の代表作としては、バチカン宮殿の署名の間の壁面に《聖体の論議》《アテナイの学堂》(1508~1511年)がよく知られています。
また、聖母マリアと幼子キリストを描いた聖母子作品を数多く残したことから「聖母子の画家」とも呼ばれています。
彼は短い生涯の中で120点にも及ぶ作品を残しています。
ラファエロは「女ったらし」と言われるほどの女性好きで、"美しい女性を描くには、多くの女性と付き合わなければならない"との言葉を残したとも言われています。
ラファエロは37歳という若さでこの世を去りましたが、女性関係が派手であったことから彼の死因は梅毒と言われています。
当時はヨーロッパでも梅毒が大流行していましたから、数多くの女性と関係を持てば当然梅毒トレポネーマに感染しても不思議はありません。
新大陸から持ち込まれ当時流行していた梅毒トレポネーマの感染力は強く、症状も激しく、数年で神経障害を引き起こしていたと考えられています。
当時の記録には一晩で鼻が落ちた・性器が落ちた・顔が崩れたなど激しい症状が記録に残されています。
現在では当時のような激しい症状を短期間で引き起こすことなく、神経障害も十数年かけて引き起こされます。
彼の死因については色々取り沙汰されていて、一説には感染症の治療のために瀉血による血液の抜き取り過ぎによる失血死とも言われています。
切手は1963年サンマリノ発行の「絵画切手」で、ラファエロの自画像が描かれています。


切手は2020年バチカン市国発行の「ラファエロ没後500年小型シート」で、シート面左の切手には彼の作品の『キリストの変容(1516~20年作)』が、右下にラファエロの自画像が描かれています。

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