血液を集めて貯蔵し、必要に応じて提供する施設のことを言います

世界最初の血液銀行 (Blood Bank)は 、バーナード・ファンタス(1874~940)に よつて、1936年 にアメリカのシカゴ市のクック郡病院の中に設立されました。

わが国においては、1951年に民間血液銀行日本ブラッドバンクが買血方式で設立され、1952年には日本赤十字社血液銀行 (現在の日本赤十字社中央血液センター)が預血と献血の二本立てで設立されました。

医学の進歩にともない血液の使用量が増加し、そのために民間の血液銀行では特定の売血者からの頻回採血に頼らざるを得なくなつたことと、簡単に現金が得られることから自分の健康を省みず売血を常習とする者からの血液は「黄色い血液」、「汚れた血液」として大きな社会問題となりました。

1964年、エドウィン・オールドファザー・ライシャワー((1910 90)駐日アメリカ大使殺傷事件で、輸血を受けた大使が“輸血後肝炎"に なつたことから、「黄色い血液」、「汚れた血液」が社会的に大問題になるにいたつて、マスコミ、市民団体、学生の売血追放運動によつて、1964年政府は「献血による輸血用血液の確保」を閣議決定されることになります。

この時に虎ノ門病院で輸血を受けたライシャワー大使は、"これで私の体の中に日本人の血が流れることになりました"と発言し多くの日本人から賞賛を浴びましたが、この輸血が元で輸血後肝炎に感染し3ケ月の入院をし、その際大使は一時は辞任を考えられましたが、"今退任し帰国すれば日本人は事件の責任を感じてしまうだろう"と考え留任することを決め、その後も駐日大使として活躍されました。

この事件を契機に1969年 に売血による輸血用血液の製造中止、1973年には商業血液銀行が預血制度を廃止するにいたつて、1974年には公立および赤十字血液センターによる善意の献血制度が確立され、1983年には公立の血液センターが日本赤十字社に移管され、現在わが国の血液センターは赤十字血液センターー本の運営に統一されています。

2022年現在日本全国には7箇所のブロック血液センターと、各都道府県に1箇所ずつ計47か所の血液センターが設置されています。


切手は1956年ホンジュラス発行の「5ケ年計画宣伝切手」のパンチプルーフでホンジュラスの血液銀行が描かれてます。

プルーフとは切手の試し刷りのことです。



血液銀行プルーフ.1956.ホンジュラス


切手は1976年ベナン発行の「献血推進切手」の中の一枚で、ベニンのコトヌー血液銀行が描かれています。



血液銀行.ベナン.1976


切手は1966年クウェート発行の血液銀行の日記念切手」で、手からこぼれ落ちる赤い水滴を受ける図案で血液銀行を著しています。



血液銀行.クウェート.1966