自血病 (Leukemla)という病名は、1347年に病気の座を細胞におき、病気は正常細胞が病的刺激によつて起こるという“細胞病理学"を確立し、「細胞病理学の父」として高名な ドイツの病理学者ルードルフ・ルートヴィヒ・カール・フィルヒョウ(1821~ 1902)に よって初めて名付けられました。
1845年10月、イギリスの組織学の開拓者として知られる病理学者ジョン・ヒューズ・ベネット(1812~ 75)は 巨大な牌腫と血液中に膿が混在 したような状態の患者の解剖を行い、白血病を初めて記録します。
その6週間後にウイルヒョウも同様の白血病の報告を行っています。
ベネットは血液中に化膿物が存在 したために化膿性の疾患によつて死亡したとえ、“Leucocythaemia(自血球血症)"と命名しました。
一方、ウイルヒョウは この患者の血液は赤血球と白血球の数が逆転 しているために、血液中に膿を含んだように見えると考え、単にWhite Blood(白い血液)と記述しました。
このWhite Bloodは 1847年 にギリシア語に翻訳され、“Leukemla(ロイケミア:白血病)"と命名されることになります。
この病気はベネットとウイルヒョウが ほとんど同時に発見 したために、その後数年間二人の間で病気の発見順位および解釈について争われることになります。
現在ではウイルヒョウの説に軍配が上がりますが、当時の医学の水準からすれば両者の説はともに正しいとされても当然と思われます。
その後ウイルヒョウは 自血病を牌臓の腫大が特徴的な“牌性白血病"とリンパ節の腫張が特徴的な“リンパ性白血病"の二種類の病型に分類することを提唱しています。
しかしウイルヒョウは 白血病の発生機序の解明に努力しましたが果たすことが出来ませんでした。
切手は1953年ベルリン米英仏占領地域発行の「偉人切手」の中の一枚で、ウイルヒョウが描かれています。
切手は1958年アルゼンチン発行の「白血病対策財団のための付加金切手」で、白血病の治療(試験管から落ちる赤い水滴で輸血)と予防への希望(ハートマーク)を抱く少女を描いています。
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