古来より心臓は生命の源と考えられていました。
紀元前2000年頃のエジプトの『エドウイン・スミス・パピルス』には、「心臓の鼓動はあらゆる部分の血管に認められる」と記載されています。
さらに紀元前1500年頃の『エーベルス・パピルス』には「胃の中の食物は心臓で血液に変えられる」との記述も見られます。
紀元前400年頃の古代ギリシアの哲学者プラトン(B.C.427~347)は、 「心臓は血液の泉で血液の働きは心臓から起こる」とし、彼の弟子のアリストテレス(B.C.384~322)も 心臓には魂が宿り、心臓はプノイマ(生気)を作り、そしてプノイマを全身に運ぶために心臓が血液を送り出す」と提唱しています。
紀元前370年頃、医師 デイオクレス(B.C.350~400)は 、「心臓を血液の源とし大動脈と大静脈を区別し、栄養は血液によって運ばれ、血液は肝臓で作られる」と提唱しています。
1983年には、血液を循環させるポンプの役目だけと考えられていた心臓から“心房性ナ トリウム利尿ペプチ ド"と呼ばれる体液のナトリウムや塩分濃度を調し、血圧をコントロールする働きを有する新しいホルモンが発見されるに至つて、心臓はホルモンを分泌する内分泌器宮の一種であることが明らかになりました。
切手は1981年東ドイツ発行の「図書館所蔵切手」で、ライプチヒ大学図書館所蔵の文化財エーベルス・パピルスの一部が描かれています。
切手は1978年ギリシャ発行の「アリストテレス死去2300年記念切手」で、イタリアの画家ラファエロ(1483~1520)がバチカン宮の署名の間に描いた壁画「アテネの学堂」でプラトン(左 )とアリストテレス(右 )が描かれています。
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