酸素と血液の酸素運搬能の発見者であるフランス人科学者アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ(1743~1794)は、ルイ16世支配時の1791年に国家財政委員に就任し、フランスの金融・徴税システムを改革し、税の負担を軽減しょうと奔走しました。
しかし、フランス革命勃発後の1793年に徴税吏であること、徴税請負人の娘と結婚していたこと、市民から正規の税+高額な手数料をとったとの濡れ衣により、投獄され1794年5月8日の革命裁判所の審判で死刑とされ、その日のうちにギロチンで処刑されました。
彼が処刑された真の理由は、かつて化学者であったジャン=ポール・マラーの論文審査を学会から依頼された際に、その論文が実験もせず憶測の内容で論文の価値のないことを指摘し、承認しなかったことを逆恨みし、後に過激な革命家に転じたマラーがラヴォアジエを処刑したと云われています。
18世紀最大の数学者のジョゼフ=ルイ・ラグランジュ(1736~1813)は、「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」と処刑の光景を見て嘆いたとされています。
切手は1982年サンマリノ発行の「偉人切手切手」の中の一枚で、ラボアジェの肖像が描かれています。
切手は1958年フランス発行の「研究者シリーズ切手」の中の一枚で、ラグランジュの肖像が描かれています。
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