独裁者の典型とされるアドルフ・ヒトラー(1889~1945)も梅毒であったとの説があります。

感染経路は2つの説あり、ひとつは父アロイス・ヒトラーと母クララ・ヒトラーからの感染、すなわち先天性梅毒です。

彼らの子どもが次々と早逝したのは先天的な梅毒だったという説明にもつながります。

もう一つは、若い頃にウィーンで街娼から感染し、そのために売春婦を憎んでいたとする説です。

残っているヒットラーの映像から晩年の手の震えはパーキンソン病ではなく、梅毒の症状とも考えられます。

たしかに晩年のヒトラーは全身に異常が出ていて、根幹に梅毒があったと考えると納得しやすいです。

ゲシュタポ長官ハインリヒ・ヒムラーの主治医フェリクス・ケルシュテンは、ヒトラーがまぎれもなくこの病気にかかっていたという証拠を明らかにしています。

彼の最後の数年間の震えと不規則な心拍は、後期梅毒の症状であった可能性があります。

これは、彼が長年梅毒に悩まされていたことを意味しています。

他の説もあり、左手でメガネを握る際にカタカタと震えていたという話、右手を多用していたなどの秘書の証言からパーキンソン病であったとも言われています。


切手は1939年ドイツ帝国発行の「ナチス会議記念切手」で、演台のヒトラーが描かれています。



ヒトラー.ドイツ帝国.1939

切手は1943年ドイツ帝国発行の「ヒトラー54歳誕生日記念切手」で、ヒトラーの横顔が描かれています。


ヒトラー.ドイツ帝国.1943


切手は1944年ドイツ帝国発行の「ヒトラーによる政権掌握11周年記念切手」で、当時のドイツ帝国の国旗と国章と共にヒトラーの横顔が描かれています。




ヒトラー.ドイツ帝国.1944



【おまけ】

ヒトラーが愛犬家であったことは非常に有名で、常々側近に「犬は忠実で主を最後まで裏切らない」と語っていたことは有名なことです。

政権を掌握した後のヒトラーの愛犬は、ジャーマンシェパードのメス犬で「ブロンディ」で、彼はブロンディーを溺愛していました。

ブロンディはヒトラーの「動物の恋人」として紹介されています。

ブロンディもヒトラーを信頼してよくなついており、数匹の子犬を産み、ヒトラーの側近くで飼われ続けましたが、自殺前の1945年4月末に自殺用の青酸カリの効能を確認するため薬殺されました。

ブロンディは口に毒を詰め込まれることを最期まで拒み、その眼差しはヒトラーにずっと向けられていて、ヒトラーが退室後もその先をずっと見続けて息絶えたと言われています。