歴史上、最初に現代の中国の版図を統一したのは秦の王だった政、のちの始皇帝(紀元前259年~紀元前210年)で、法治と中央集権による国力の充実に努め、他の六つの列強(楚・斉・燕・趙・魏・韓)を滅ぼし紀元前221年に史上初めて皇帝を名乗った人物です。

帝位につくこと10年、最高の権力者をもってしても、老いを止めることできずで、始皇帝は、神仙の術を行う方士を全土に派遣し不老不死の薬を求めさせることになります。

秦の始皇帝は、その絶対的権力と富を手に入れた独裁者ゆえに、老いと死を極端に恐れていたのでしょう。

この様なときに始皇帝に近づいたのが徐福という人物であった

徐福(生没年不詳)は、秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の若い男女と多くの技術者を従え、財宝と五穀の種を持って東方に船出したものの三神山には行かずに「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり、秦には戻らなかったとの記述が『史記』に記載されています。

始皇帝の不老不死の願いは儚くも実現せずに紀元前201年49歳で死去します。

中国を統一して僅か11年しか経過していません。

有毒な水銀を含む丹薬を不老不死の薬と信じて飲んでいた始皇帝は、49歳で死去しています。 

古代中国では『水銀』は聖なる薬であり、始皇帝以後、水銀を服用し中毒死した皇帝が何人も史書に残されているようです。


中国史初の皇帝であった秦の始皇帝は、その強大な力を背景に大規模な陵墓を建設しました、これが秦始皇帝陵で、紀元前246年から紀元前208年にかけて造られたと推定されています。

『史記』には始皇帝の遺体安置場所近くに「水銀の川や海が作られた」との記載がありますが、これは長い間、誇張された伝説と考えられていましたが1981年に行われた調査によりこの周囲から水銀の蒸発が確認され、現在では真実であると考えられています。


切手は2009年アンティグア・バーブーダ発行の「2009年国際切手展小型シート」の中の1枚で、始皇帝が描かれています。


無始皇帝.アンティグア・バーブーダ.2009


切手は1997年ブータン発行の「ユネスコ世界遺産50周年記念切手」で、始皇帝の像が描かれています。



始皇帝.ブータン.1997


切手は2003年香港発行の「中国のユネスコ遺産切手」で、兵馬俑の武士俑(兵士俑、歩兵俑)が描かれています。



兵馬俑.香港.2003

私も2003年2月に兵馬俑に行きましたが流石に壮大で身がすくみました。

写真はその時現地で購入『新 死して更に生きた秦の軍陣(日本語版)』したものです。

当然のことながら発見者の楊志発氏のサインは頂きました。



兵馬俑冊子